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ゲームを愛する者へ、そして… "The Hex" 【ネタバレあり感想】

※ 本記事には "The Hex" のネタバレが含まれています。 ※
本記事はレビューではありません、The Hexを購入予定の方は今すぐ引き返してください。

つい先日、The Hexが日本語に対応したので早速プレイした。
The Hexは「Pony Island」や「Inscryption」で有名なDaniel Mullins Gamesが2018年に発売したアドベンチャーゲームだ。時系列で言うと両作の中間、2作目にあたる。

私は上記のタイトルもすでにプレイしている、特にInscryptionの豪華な演出には大変感動したものだ(もし未プレイならこちらもぜひ購入してもらいたい)
そして私が遊んできたDaniel Mullinsの作品の中でもこの「The Hex」一番心に刺さったタイトルだった。ゲームプレイヤーとしてもゲーム開発者としても。

このゲームを一言で表すなら「ゲームを愛する人がゲームを愛する人に向けて作ったゲーム」だと思う。

プレイ後の高揚感がとんでもなく、とにかく生の声で語りたくて仕方ないのだがプレイしてる人が周りにいなかったので急遽ブログに文字で残すことにした。というわけで今回はThe Hexが持つ魅力と、ゲーム文化にまとわりつく呪いについて考えてみる。

 

 

※あらためてネタバレ注意※
本記事はレビューではありません、The Hexを購入予定の方は今すぐ引き返してください。

 

 

まず本作は"登場キャラクターの中にいる殺人計画者を見つけるため、各キャラを切り替えながら探索していくミステリーアドベンチャー"の皮をかぶっている。いや正確に書くと筋書き自体は間違いではないのだが、犯人探しはそれほど重要ではない。

プレイヤーは各章ごとに『横スクアクション』から『ポストアポカリプスSLG』までジャンルの異なるゲームを記憶として追体験し、ゲームキャラクターたちの視点で、ゲーム開発者ライオネルの転落人生を追いかける。
その中で"なぜゲームキャラたちは宿屋に集まったのか"を解き明かしていくことがこのゲームの真の目的だ。

素晴らしいストーリーだが、より秀逸だと感じたのはそれを裏から支えているゲームデザインだ。

全ての章にはそれぞれゲーム文化の負の側面がテーマとしてこめられていて、それがまたゲームデザインと見事に絡み合っており、実際に発売するゲームとして見たらありえない・欠陥のあるゲームデザインでもこのThe Hexでは意味のある演出に昇華されている。その一部を抜粋して紹介しよう。

落ちていく身体と評判

最初に遊ぶ『スーパーウィーゼルキッド(通称:SWK)』は、ゲームの続編と評価をテーマにしているが、もう一歩引いた視点で見てみると"落ちることへの恐怖"が描かれているように思う。

まずこの章はSWKの主人公ウィーゼルキッドが宿屋の2階から地下へと真っ逆さまに落下するところから始まる。

絶大な評価を得ていた1作目に対して2作目は世界観も激変し、新しい連打戦闘システムはジャンプアクションと相性が悪く、失敗に終わる。
酷評に辟易していたライオネルはSWKの権利を売却し、その後バグだらけの低クオリティリメイク作が発売されると、ファンはライオネルに深く失望し、SWKシリーズの評判はかつての栄光からは想像できないほど地に落ちてしまう

そして自信を失ったウィーゼルキッドは次第にジャンプができなくなり、低評価に揉まれながら地下へと転落する

キャラクターが画面外まで落下すると死んでしまう"プラットフォーマー"というゲームジャンル自体が "落ちることへの恐怖"を示しているし、その裏返しかSWKは"プレイヤーが落下しても死なない"ように作られていた。そしてこの皮肉さがThe Hexの物語の全体像を映し出していると言える。

プレイヤーの考える余地

『レジェンダリアの秘密』で印象に残るのは"プレイヤーの意思"についてだ。

この章ではプレイヤーに意思決定を促しつつ動揺させてくる演出が多く出てくる。

例えばダンジョン攻略で"バグを利用するかどうか"を選択する場面。
最初のボスに辿り着くためには長い山道をまっすぐ登るか、バグを使って"ショートカット"をするか選択しなければならない。しかし山道を登る正規ルートは想像の数倍長いうえに道中にいる大量のゴブリンを一匹ずつ倒さないといけず単調で、非常にめんどくさい。
2番目のダンジョンでも同じように落ちているアイテムを真面目に36個探すか、バグを利用して一瞬で集めるかを選択することになるが、探索する範囲が広くこれもまためんどくさい。

重要なのはどちらの場面でも選択肢のUIは出ず、あくまでもプレイヤーの意思でバグを使うかを決められるようにしてある所だ。その上で雑魚戦やおつかいといったゲームのめんどくさい部分をちゃんとめんどくさく演出することでプレイヤーを諦めさせて自然にバグへと誘導している。プレイヤーは特にデメリットがなければリスクを回避する動き、楽な道を無意識に選ぶ傾向にあるのだ。

また要所要所で配信のチャット欄が表示され、ギミックの解き方をネタバレされたり、レベルアップ時には指示コメントが流れてきてプレイヤーの心を少しだけ揺さぶりにくる。表面的にはただのゲームあるあるだが、やはりこれもプレイヤーの意思決定に大きく変化を与えている。

個人的な意見だが、ゲーム配信を見ていると本来ゲームとプレイヤーの1対1のコミュニケーションで成立していたはずのゲーム体験が、第三者の外圧で損なわれているのではないかと思う時がある。もちろん余計なお世話かもしれないが、ゲーム開発者としてはやはり勿体ないと感じてしまう(そもそもゲーム配信自体がゲームの購買にどれだけ貢献しているか疑問に思う瞬間もある)

正攻法では勝てないから…

『Waste World』完成しなかった作品だ。そして未完成であることがゲームデザインに直結している。

なぜかこの章では途中からチート改造ソフトが出現し、プレイヤーに「無限移動」「無限射程」といったチートが選択肢として提示される。使用すると戦闘が楽になるのだが、なぜこのようなゲームを崩壊させる要素があるのか最初は疑問に思うはずだ。

しかしゲーム中盤になると敵の配置や攻撃が激しくなり、正攻法では勝てないことが分かってくる。それもそのはず、このゲームは未完成なのだからレベルデザインも全く調整されていない、強すぎる敵は放置されたままなのだ。

だからこのゲームはチートを使わないと攻略できないようになっている。バグを使うか選択の余地があった『レジェンダリアの秘密』とは対照的だ。
チートを使うシステムもさることながら、チートを使うことにしっかりとした理由と背景がついてくるのには感心させられた。

 

プレイしていて、私はどの章にも既視感を覚えた。それはおそらく私が"ゲーマー"だからだろう。

「続編がコケた作品」、「対戦ゲームの無限に続くバランス調整」、「開発者の仲違い」、「配信における指示コメント」、「完成しなかった作品」「ファンの行動でやる気を無くした作り手」 どれも私は知っている。現実で見たことがある。
これを読んでいるあなたも、ゲーマーなら心当たりはあるんじゃないだろうか。

これらはゲームが誕生して以来、ずっとまとわりついてきたある種の呪いだ。
人間が完璧ではない以上、その人間が作るゲームもまた完璧ではない。この呪いはおそらく50年経っても100年経っても解決しないのではないか……そう思うと意思のあるゲームキャラクター達は実に不憫な存在に思えてくる。

 

ライオネルは私なのかもしれない

いろいろ述べたが個人的に一番心に突き刺さったのはThe Hexの最後の最後、核心の部分だ。

本作の真相として、最後に「ライオネルが一番最初に作ったゲームは"スーパーウィーゼルキッド"ではなく"ルートビアテンダー"だった」という事実が明かされる。

ここで、ウィーゼルキッドについて思い出したい。

あのいかにも典型的なアクションゲームのキャラクターは、現実世界のゲームの歴史的な流れを汲んでいて"成功したゲームキャラクター"の象徴としてゲームキャラクタービジネスとして大成功しゲームデザインに変革をもたらした存在である"マリオ""ソニック"をミックスしたような姿をしている。

『スーパーウィーゼルキッド』"天才"開発者ライオネルにとって経歴の一番最初に載せたい誇らしい作品だ……しかし彼の経歴の一番最初にくるのはルートビアテンダー』で、それは彼にとってかっこ悪いことだったのだろう(こんな書き方をすると元ネタの"タッパー"に申し訳ないが…)

だからライオネルはルートビアテンダーを作った」という過去を隠し、レジナルド(ルートビアジー)の存在を封印したのだ。

その後、レジナルドは同じく自身の運命を呪うキャラクターを集め、プレイヤーを密かに誘導し、ゲームと現実の境界線"The Hex"を開いて創造主であるライオネルを殺害する。

殺人を計画していたのはレジナルド、ひいては宿屋にいた全員だったのだ。

 

 

この復讐劇の結末を見て、私は何とも言えない感情になった。
朧気だが思い出してしまったのだ……ネットから消した、自分の"あの絵"を、"あの漫画"を、"あのゲーム"を。

私もかつて、ライオネルと同じように過去に投稿した創作物を削除したことがある。

そのことに"隠す"なんていう後ろめたさは無く「手元に作品がたくさんあってゴチャついてるから整理しよう」という軽い気持ちで消していたつもりだったのだが、それは要するに自分の経歴に「いるモノ」と「いらないモノ」を選り分けて、レジナルドのような存在を作り出しているのと同じなのではないかと思う。

それだけじゃない。作品を完成させられない気持ち、誰かに創作の聖域を汚される怒り、それでも自分を天才的な人間だと信じたい焦り、もしかしたらいつか私もライオネルと同じ理由で過去を隠してしまう時がくるかもしれない。あるいはもう隠していて、そのことさえも隠しているのかもしれない。
だからライオネルの行動に少しだけ共感できてしまう自分がいる。その事を突きつけられたような気がした。

筆者のゲームページ

 

……ちなみに、ゲーム内だけでは見つけられないシークレットで、ライオネルがルートビアレジーを思い続けてたことが本人の口から語られる

Daniel Mullinsという人はメタフィクション的なストーリーテリングもさることながら、それとなくプレイヤーを誘導したり、ゲームを動かしているシステム自体をゲームデザインにしたり、あるいは用意したシステムを混ぜたりぶっ壊したりするのが非常に上手い。

プレイし終えると『The Hex』は、『Pony Island』の進化系であり、『Inscryption』に繋がる名作だったと確信する。

願わくば、私の世界にThe Hexが開かれないことを望む。